みせばやな

ゆるしなき

つんとした臭いにああ、やってしまったな、と思った。黒衣といえども臭気までは誤魔化せない。顔にもはねている。赤黒いヘモグロビンの色と臭い。まさしく鉄だ。錆びている鉄の。命の一部は、ひどく醜悪なものだった。

気分が落ち着いてから、自分の状態をじっくりと観察した。頬、爪のあいだ、腕、足。皮膚片が残っていてはいけない。傷も駄目だ。それから直に触れないようにゴム手袋をはめて作業を始めた。黒衣のままでいたのは失敗だった。なかなかどうして、計画通りには進まないものだ。予め準備したレインコートに着替えるすきは見当たらなかった。だが今更後悔したところで何も変わらない。頬についたものを拭い、床を磨いた。この工場でどこに清掃用品を置いているのかは知っている。工場で働く人間と同じで管理はいい加減だから、洗剤が数本減ったとて気がつかない。水色がかった大量の泡が私の罪を覆い、綺麗さっぱり洗われた。そして先程まで生きていた「もの」を運びだし、黒衣と一緒に例の「穴」に投げ入れた。時々焼却炉に入れればよいと考えるものもいるようだが、それでは骨が残る。そんなことをするのは、きっと火葬場を見たことのない人間だろう。身体のうちで最も硬い部分は(カルシウムが不足すると脆くなるが)、想像以上に丈夫だ。その点、工場の裏手にある「穴」は暗くて深いうえ、ひどい臭いがする。この世のありとあらゆる醜悪なものを集めたようだ。腐敗臭だとかアンモニア臭などという言葉では足らない。工場では時々木炭を脱臭剤にしているが、徒労に終わっている。燃やそうにも大気汚染物質が発生するのでとうの昔に計画は中止された。だからこうした用事には適していた。

ある意味、手を汚すことは予定していたことではなかった。賭けだった。私が彼に耐え切れるか。彼がクラウスから離れると約束するかどうか。答えは否だった。そして私はうせろと罵る彼をハンマーで何度も殴った。

ゆるしなき 色とは知れど 恋衣 濃き紅に ひとりそめつつ
- 賀茂真淵 『賀茂翁家集拾遺』

みせばやな

1週間ぐらい経ってから、クラウスが朝早く教会を訪れた。彼はエドがいなくなっちまったんだ、とひどく憔悴した様子でつぶやいた。なぜここに?と問うと、あんたよくあの辺出入りしてるだろ、と言った──私は彼の懺悔の場を設けるためだけに向かっているのだ。本当なら、あの地区から彼を連れ出したいと思っている。エドが「いなくなった」のは、そのためでもあった。

本当に見つからねえんだ、と言うと彼は──あのすっかり荒くれたような彼が──その場で長々と祈った。ステンドグラスごしの朝日に包まれた姿は、神々しくさえあった。 気づけば、私はいつのまにか拳を握りしめていた。血がにじみ出るほどに。それを見てつくづく己が汚れていることを自覚した。

その晩、私は自室の十字架に向かって告白した。許しを請うたのではない。モーセの十戒をさえ守れなかった私にその資格はきっとない。法を犯すのは今回が初めてだったが、いつだって彼に対する奉仕のつもりで、何でもやってきたのだ。そのつど神に告白をしても、止めることなく繰り返す。平気な顔をして、神父のままでいる。私はまた、明日も明後日も何一つ変わらずに過ごすだろう。いつも通りに祈り、食べ、誰かの罪の告白を聞いて眠るだろう。赤く汚れた手と一緒に、あの子の幸せのみを願って。

見せばやな 雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず
- 殷富門院大輔 (90番)『千載集』